明太祖朱元璋(1328-1398)は貧農から皇帝にのし上がった一代の風雲児として有名ですが、彼を支えたのは賢夫人として知られる正妻の馬氏(孝慈高皇后、1332-1382)でした。彼女は朱元璋が紅巾軍の一部将だったときに結婚して夫と苦楽を共にし、明王朝成立後は皇后に立てられました。彼女は朱標(懿文太子)?朱棣(永楽帝)をはじめ少なくとも5男1女を産みました(永楽帝の母については異説あり)。彼女は洪武15年(1382年)に病死しましたが、太祖はこの後新たに皇后を立てませんでした。
さて、朱元璋には馬氏以外にも孫貴妃?趙貴妃?李淑妃?郭寧妃?葛麗妃?達定妃ら大勢の后妃がいました。しかし朱元璋の彼女たちに対する扱いは、非人間的そのものでした。
洪武31年(1398年)、朱元璋は病に倒れて死の床にありました。彼はある日、枕元で看病をしていた李淑妃と翁妃に「いつまで私の