平安時代皇族の結婚事情-尊子内親王の場合2
尊子内親王の母藤原懐子は摂政太政大臣藤原伊尹の娘で、冷泉天皇との間に宗子?尊子?師貞の1皇子2皇女を産みました。
父天皇には中宮昌子内親王(朱雀天皇皇女)がいましたが、昌子内親王は精神疾患を持つ夫天皇と仲がすでに破綻していました。藤原懐子は昌子内親王と同時期に入内し、3人の皇子女を産みました。彼女は天皇の在位中に皇子を産んだ唯一の后妃でした。
父冷泉天皇は在位約2年で退位しましたが、その子師貞親王が生後すぐに叔父円融天皇の皇太子に立てられたのは、ひとえに祖父伊尹の威光によるものでした。
尊子内親王も師貞親王も、少なくとも出生時においては時の最高権力者を外祖父に持つ前途輝かしい皇子女として、周囲から将来を祝福されたことでしょう。
諸資料によれな、尊子内親王は輝くように美しい容姿とつつましやかな人柄を有していたそうです。彼女は3歳で賀茂斎院に卜定されました。何事もなければ、斎王経験者として周囲から重んじられつつ一生独身で生涯を終えたことでしょう。
メル友しかし、尊子7歳?師貞5歳の天禄3年(972年)に祖父伊尹が49歳で薨去(死因は糖尿病といわれています)したことで、姉弟の運命は徐々に暗転していきました。
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